常識非常識

ごく当たり前のことと思っている事が、実は間違っていたなんてことが世の中には五万とあるのではないでしょうか。

最近テレビを見ていて、中国人のジャーナリストが、もし日本に当用漢字や常用漢字と云うものがなければ、「中華人民共和国」なる国名や表現方法がなかったと語ったことでした。どういうことかと云うと、「人民共和国」あるいは「共和」国という言葉が中国語には存在せず、明治時代以降の我が国の偉大なる先人達が欧米の思想表現を苦心して日本語に、漢字を用いて表現した、翻訳したことによるもので、中国には欧米の思想を自国語に表現しなすことができていなかった、そのため、我が国の当用漢字・常用漢字を利用してさらにその背景に存在する欧米思想をも同時に取り入れてと云えばきれいな表現ですが、当用(盗用?)したということです。加えて、これは上記ジャーナリストの弁ではないですが、現代中国語の略字は、独自に作ろうとしたものの結局うまくできず、我が国の当用漢字・常用漢字を再編集して誕生したそうです。

 

ここで大きな疑問。漢字は中国で、この表現も矛盾だらけなのですが、つまり、中華民国という国があり、その後毛沢東に大陸を奪われ、追われた蒋介石が台湾に逃げ込むという流れの中で中(かみん)国をつづめて中国と認識できるわけで、その前は「清」国であったりするわけです。だから、中国4000年の歴史なんて存在しないにも拘らず、なぜか、マスコミのせいもあるでしょうが、中国と云う国が4000年も継続して存在していると日本人は信じているのです。現実には70年程度でしょう。日本と云う国は明らかに3000年以上の歴史を有しているのは明らかですが、一般的には中国より歴史が浅いと考えている、つまり常識となっているのです。漢字に戻りますが、例えば既存技術の改良をしようとするときに、的確に上手に改良できるのは多くの場合、オリジナルの技術を開発した人です。なぜならば、どこにどんな問題があるかを熟知しているからです。つまり漢字にも同じことが言えます。日本語の表現の豊かさは平仮名と片仮名があるからです。例えば外来語はカタカナでとか、擬態語はカタカナでとかで表現することで表現に幅ができます。中国語には所謂漢字しかないので、すべて漢字で表記するしかない。ここで重大な疑問。漢字が表現通りであれば、現中国のはるか祖先の一つ、漢族が生みだした文字であり、そうであれば、表現の不便さから、日本語のカタカナやひらがなに相当する文字があってしかるべきなのです。しかし現実にはなく、当用漢字や常用漢字させつくりだせなていない。つまり、漢字は古代中国から我が国に輸入されてきたものではなく、日本の元東北地方に存在した人々が生みだし、中国に輸出されたというのが隠れた歴史上の常識のようです。オリジナルを生み出していために、どう略したらよいか等わからないし、カタカナ等の便利な文字も発明できなかったんですね。常識を疑うことが、常識を高めることになるという一つの例でした。